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凡人ゲームプランナーの走り書き

「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」の考察①:作品の大枠

ここ最近見た映像作品の中で度肝を抜かれた作品があったので、紹介と同時に内容の考察を残しておく。

作品情報

アメイジング・デジタル・サーカス」は、自分の人生を嫌って別れたがるかわいい漫画のキャラクターを描いた心理的ダーク コメディです。Youtube概要欄より

インターネット黎明期のカルチャーを感じさせる世界観や表現を可愛げなデザインと丁寧な3DCGでまとめ上げたサイコホラー的怪作で、オーストラリアのスタジオが制作。

第1話が公開から半年で3億再生回し、先日公開された第2話が3日で4500万再生されている。今世紀最大の世界的ヒットを飛ばしたアニメといっても過言ではないように思う。

これだけのヒットになったのは数多くの要因があるのでいくつかさらっと紹介しつつ、作品のテーマ性について深堀りしていきたい。内容は各自視聴されたし。

考察:ヒットの要因

キュートアグレッション

可愛いものを虐めたくなるアレのことである。

「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」は、主人公であるポムニがひどい目に合うのが話の大筋である。

日本では「ちいかわ」や「PUI PUI モルカー」、「おぱんちゅうさぎ」などのコンテンツが該当し、メジャーな支持を獲得していることからも、潜在的な需要が高いコンテンツだ。

デジタルネイティブ世代の郷愁

「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」は、あらゆる要素がインターネットカルチャーとそれに付随するコンテンツ(ゲーム、アニメ、マンガ、etc...)の影響を強く受けている。

例を挙げると、「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」はゲームの中のお話という設定であり、それに伴ってゲームが不具合を起こした様子(グリッヂ表現)を随所に用いている。これはインターネットカルチャーの文脈で浸透したメタ表現の一種(作品例:「ドキドキ文芸部」など)である。

挙げるとキリがないし説明にも多大なる時間が掛かってしまうので省くが、無数にあるそれらはデジタルネイティブ世代にとっては当たり前に受け止めてきたもの達であり、故郷のような感覚すら覚えるのではないだろうか。もはやインターネットカルチャーのそのものといってもよいほどである。

しかもこのインターネットカルチャーの持つ精神性が作品の根幹に関わっていることで、デジタルネイティブ世代にとっては得も言われぬ共感を生んでいるように思う。この辺りはのちの考察にて。

考察:ストーリーライン

本作は現状2話しか公開されておらず、明かされていない設定も非常に多いため、メタ読みも含めた考察を残す。

第1話

まず「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」の大筋は、主人公ポムニが、現実世界で見つけることが出来なかったアイデンティティを見つけていく話である。

第1話で明かされた世界設定

  • ポムニを含むNPCではないキャラ達はこのゲーム内に閉じ込められている
  • 現実世界の記憶は喪失している
  • 帰る手段がない

これらを念頭に、第1話のお話は終始悲観的かつ逃避に徹するポムニの行動を鑑みると、ポムニは現実世界では何かしら(というより、何もかも)うまくいっておらず、現実逃避的にゲーム世界に逃げ込んだ、というのが話の起点だと考えるのが自然だ。

メタ的にも、「なろう系」に代表されるように異世界やゲーム内の世界への転換は、主人公の逃避から起こるものである。

また、インターネットカルチャーが抱えてきた負の感情の捌け口としての側面も多分に感じられる(具体的に説明するのは非常に難しい)。古くは「ゆめにっき」などにあるような、とりとめのない絶望じみた感覚。

なんやかんやあった後、ポムニは結局現実世界に戻ることはできないことを知った。壮大で希望を感じさせるような音楽とは裏腹に、ポムニの「どこへ行っても救われない」という諦観と嘲笑の表情で幕を閉じる。

現実世界から逃げてきたくせに、いざ帰れないとなると絶望してみたり、気まぐれでワガママな「普通の人間」らしさが出た一話だった。

第1話ラストシーン

第2話

ポムニがバグって地下室行き(=死)になる夢を見るシーンから始まる。

一応仲間であるラガタやジャックス、GMのケインから色々言われるところから、ポムニは自己肯定感が低く、心配性であることが分かる。一方で、どんな人でもある程度は持っている感覚であるとも言える。

夢の中で地下室送りにされるポムニ

物語中盤では、NPCのガンミグーがゲームの裏側を見たことで予期せぬ自我を獲得した。その後ポムニと打ち解けサーカスに連れ帰るが、ケインに即、消される。

NPCのガンミグーと対話するポムニ

ガンミグー爆散

ガンミグーが消されたことで、ポムニはまた何とも言えない顔をと絶望のリアクションをするわけだが、さらっと流されて、そのまま第1話で死んだカフモの葬式が執り行われる。

ポムニにとっての友達だったガンミグーが消された直後に、ポムニにとって見知らぬ他人であるカフモを偲ぶ各人の様子を見て、「死んでも想ってくれる誰がいる」という存在価値を見出す。これが冒頭の夢で地下室送りになるシーンとつながり、葬儀の参加したポムニ以外の4人の手が、ポムニの手を掴むカットが入る。(キンガーの手がよく見えないが、スローで再生すると一瞬だがちゃんと映っていることが確認できる)
全てがままならないこの世界で、ひとかけの居場所を見つけたというオチで、この話は終わる。

4人の救いの手

考察:テーマ

あの日、何者にもなれなかった少年少女へ

ストーリーの本筋や舞台設定からして「アイデンティティの獲得」が一つのテーマであることは間違いないだろう。そして「デジタルネイティブ世代の価値観」がそこに大きく影響している。

デジタルネイティブ世代にとっては、もう一つの世界で生きるという感覚はとても自然なものだ。MMORPGTwitter、Discord、Youtubeなどのインターネットコンテンツの発達によって無数のコミュニティに参加可能になったことで第2、第3のコミュニティ世界を持つことがごく普通になった。

ポムニが「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」へ逃避してきたように、現実の人々はFF14を遊んだりするわけである。

時にはそのコミュニティが合わず、別のコミュニティに移ることもあるだろう。しかし、無数のコミュニティがあるのだから、さしあたり大した問題ではない。また新しくお気に入りを見つければ良いだけだ。

しかし、あまりに巨大なインターネットにはどこまで見ても上がいるし、自分と同じような人が無数にいるうえ、お互いのつながりが緩いため、自分のアイデンティティを希薄にしやすいという側面もある。これは特にソーシャルメディアの発達によってもたらされた弊害だ。デジタルネイティブ世代にとって、これは共感しやすい悩みなのではないだろうか。

日本でこの手の作品をやるときは、中高生主人公の精神的な成長と絡めるのが典型だが、本作は主人公ポムニが25歳というかなり高めの年齢になっている。

これは単に欧米文化の中では中高生を主人公とすることが少ないだけなのかもしれないが、「自分」がないまま大人になってしまった人が多いという風潮的なものか、あるいは原案者自身の経験に基づくものかもしれない。

いずれにしても、第2話のラストシーンでの「死んでも想ってくれる誰がいる」ことに価値を見出すというオチは、現代における「アイデンティティの獲得」に対して非常に示唆的だ。

昔は、「クラスで一番」程度でもアイデンティティと成り得たが、ソーシャルメディアの発達により「世界で一番」レベルが身近となってしまったことで、今では特別な何かが出来るということがアイデンティティに繋がりづらい。

そういった世界の中でのアイデンティティとは「互いを想いあうこと」なのではないだろうか。

何者にもなれなかったとしても、いつか偲んでくれる人がいればそれで十分なのではないだろうか。

そんなメッセージが込められているように感じた。

「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」の行く末

この物語全体のオチがどこへ向かうかは全く読めないところだが、ただ虚無感や無力感を主張するだけでなく、その先にある希望や成長を提示したいのではないかと考える。

「THE AMAZING DIGITAL CIRCUS」は現実か、仮想世界か、はたまたポムニの夢の中なのか、どこであったとしても今ここにある自分を肯定して生きていけるような、そんな前向きな結末を想像する。

そうすると、ジャックスのキャラ造形に少し気になるところが出てくる。
ジャックスは所謂トリックスター的なペルソナを持つが、第2話の内容を踏まえると些か凶暴性や残虐性が高すぎる描写がなされている。そういった性質がアイデンティティに組み込まれているような人物とどう向き合うのか、その提示があるのか、という点が気になる。

他の作品で言えば、バットマンに登場するジョーカーだ。ジョーカーは社会から爪弾きにされた結果残虐で歪んだ人格になってしまった。そういう人が現実に生まれてしまうことがあるとして、彼の人格を認めてあげることは可能なのか、どうやったら彼のような人と共存できるのかなど、様々な問題が考えられる。

いずれにしても、シンプルで奥深いテーマに対する作者の提示が今後も気になるところだ。