「幸せ」の答え探し、あるいは未知への羨望
「幸せ」とはなんだろう。
時にそれは「幸福度」という尺度によって測られることがある。
さて、それは本当に幸福を客観的に評価し得ているのだろうか。
幸福と関係はあるが,幸福とは別の「何ものか」を測っていると思われるから.
最もシンプルに解釈すれば,それは生活満足度を測っている.
この記事でも触れられているように、実際世の中で行われている幸福度測定というのは、物質的あるいは経済的な側面を測るようなもので、それは生活満足度と呼ぶべきものであり、幸福を成す要素の一部に過ぎないと考えられる。
それは不自由のない衣食住であったり、心身の自由であったり、将来的な経済的成長の兆しであったりする。
なるほど確かに、「生活満足度」では幸福という感情ないしは状態を全て網羅できないように思える。
では「幸せ」とはなんだろう。
一つ、最も根本的な要素を上げるとするならば、それは「思い通りになる」ことだろう。
よりおいしいものが食べたい、より大きな家に住みたい、より豪勢に遊びたい、などという欲求が「思い通りになる」ことによって人は「幸せ」を感じるのだと私は考える。
そしてこの「思い通りになる」ということは、多くの人にとって、幸せの共通項であると言えるだろう。
そして「思い通りになる」ということは、「未知を探求する」ことにつながる。
つまり、まだ自分が体験していないことに対する欲求であると言える。
私はそう考えた時、「人生はどうあっても未知の探求なのではないか」と思うようになった。
※ここより下は私個人の極端な価値観による雑感である
私は生まれてこの方、おそらく真に「幸せ」というものを解したことが無い。
何をするにしてもそれを俯瞰して見ている自分がいて、常に疑問を持ち続けてしまう。
それは本当に幸せというものなのだろうか、と。
私はこれまでずっと、客観的に見たら恵まれた人生というものを送ってきている。
だがより豪華な暮らしだったり、経済的に恵まれることにはそれほど興味を持てない。
むしろそういう「豊かな生活」とやらを送ることが普遍的な幸福であるかのような前提で話している人をみると、ナンセンスな人間だなと思う。
「豊かな生活」には存在しない体験は絶対あるし、そこから生み出されるものも多い。
だから私は先住民族の伝統的な生活であったり、ghettoでの日常であったり、戦国時代の農民の毎日であったり、”現代の”価値観では豊かとは言えない体験に対してある種の羨望を抱いている。
今の私とは程遠い生活の中には、私には決して知り得ない未知の体験が数多く存在しているに違いないからだ。
つまるところ未知を体験できるのであれば、それが何であっても、私にとっては価値あることなのだと思う。
加えて、より想像し難いものであればあるほど、価値が高いと感じられる。
今そこにいる誰かが体験している人生もまた、私にとっては未知の体験には違いない。
そして私が今体験しているこの人生も、同様に未知の体験であることに違いない。
むしろこの人生こそが、私の体験し得る最も想像し難い未知の体験なのかもしれない。
そうだとしたら、私はこの後も決して真の「幸せ」を感じることはないのだろう。
そうと分かることは決して無く、ただ「未知」の上を歩き続けるだけなのだから。
ゲーム業界に就職するまでの話 2 ~職種・会社選び
前回の記事
今回は職種と会社の選び方について
もはや21卒の就活が始まっているという
そもそも職種で悩む人なんてあまりいない気がする(今更
ゲーム業界の職種
ゲーム業界にある職種は大体
に分けられる。
一通り紹介するが、筆者はCS系プランナーなのであしからず。
プランナー
プログラマーとデザイナーとサウンドの人がやらないことを全部やる人たち。
世界的にはゲームデザイナーと呼ばれる職種。
経験的には仕様書を切って実装に必要なものを各方面に発注するのが主な仕事だ(と思う)が、企画からデバッグまでなんでもやらされている(現在進行形)。
基本的にディレクターが考えたことを実現するしたっぱの役割なので、ゲーム全体を思い通りにできるわけではないが担当箇所に関してはかなりの裁量を与えられることが多い(他の会社がどうかはよく知らないが)。
ついでになにか問題が起きると大体プランナーに回ってくるのでやたらと責任が重い。
モバイル系は運用もやることが多い。
プログラマー
プログラミングでゲームを実装する人たち。
ゲームエンジンとか社内ツールとかミドルウェア開発とかITインフラとかをしている人も大手ならそれなりにいる。
エンジニアっぽい職種もこの括りの時が往々にしてある。
新卒で入るならプログラミングのスキルは必須で、C++やC#あたりが分かれば良いと思う。今開発で主流のUnityはC#、UnrealはC++で動いている。内製エンジンも大体C#かC++のどっちかで動いている(と思う)。
数学や物理(特に力学)、アルゴリズムあたりのどれかが長けていると尚良いらしい。
ゲームはそういう学問の塊。
デザイナー
グラフィックに関する大部分を作る人たち。
大体美大とか専門で絵やイラストを修めている人が多くて、3DCGのみで入ってくる人は少ない気がする。
最近は担当箇所がかなり細分化されているが、新卒の選考では一緒くたにされていることが多いように思う。
新卒で入るにしても何かしらに特化した方がいいと思う。
会社によって絵柄やスタイルとかの合う合わないが一番激しいので注意が必要。
サウンド
ゲーム開発におけるレアキャラ。そもそもの人数がものすごく少ない。
音に関連する制作の大部分を担当する人たち。
デザイナーと逆で一人でなんでもやるタイプの人が多いし仕事も多い。
音楽ゲームとかだと花形にもなる職種。
新卒採用は多くて数人少なければ0~1人とかなので一番狭き門。
作曲か効果音制作がプロ並みじゃないとまず無理。
総合職
普通の会社と同じ。会社によってはゲーセンのプライズ企画みたいなのもある。
モバイル系は運用をやらされることもあるらしい。
職種の選び方
当たり前だが、プログラミングができないのにプログラマーとかは無理なので自分ができる職種を選ぼう。
1,2年やった程度では十分なスキルはまず身につかないので、もし大学や専門を選ぶ段階なら慎重に、もはや手遅れなら諦めよう。
プランナーは特にスキル等が必要ないので誰でも受けられるが、異常に倍率が高いのでプランナー一本で就活するのは結構な覚悟と度胸がいる(ただそういう無鉄砲な奴ほどプランナー向きであるとは思う)。
逆にプログラミングできてもプランナーを受けるみたいなのはありだと思うし、自分も実際プランナー、プログラマー、サウンドで迷った。
最終的には将来ディレクターやプロデューサーをやりたいならプランナーから入ったほうが近いといえば近いと思ったのでプランナーにした(が先のことなんてわからないのだ)。
会社の選び方
どうしても行きたくない会社以外全部受けよう。
本当にゲーム開発らしい開発ができる会社は意外と少ない。
そういう開発がしたいならCS系かモバイル系最大手(サイゲとかDeNAとか)あたりを手当たり次第受けると良いと思う。
大体のモバイル系は大体運用ばかりやることになると専ら話に挙がるので、それでもいいなら受けてみてもいいと思う。
それとCS系からモバイル系に転職する人は多いが、その逆はほとんど見かけない。
CS系がやりたいなら最初からそっちを目指す方が良い。
まとめ
できる職種を選ぶ。
たくさん受ける。
次回:プランナーの就活対策みたいな話
「物語のレベルデザイン」についての一考
レベルデザインというのは本来ゲームのアクションやパズルなどの難易度をプレイヤーの上達や進行度に合わせて加減することである。
フロー理論的に言えば、難しすぎず易しすぎないレベルデザインがゲーム体験の面白さを決めていると言える。
ゲームの面白さにおいてレベルデザインは重要なファクターであるのは間違いない。
時に、この世の中のあらゆることは何かのアナロジーであるように、物語にもレベルデザインが導入できるのではないかと考えた。
物語のレベルデザインによってより物語の奥行きを深め、また伝えたいことをより楽しく正確に理解させることができると考える。
面白い物語に必要な要素は様々あるが、本来はその物語が「伝えんとすること」がもっとも大切であり、面白さというのはその副産物に過ぎない。
今日ではそれを忘れていたり、無視したアプローチで制作されたりした作品はもはや価値を持たない。
極度にコモディティ化したエンタメ産業では作者の意志無き作品はどれだけ高い技術力だろうとも有象無象の一つになってしまうからだ。
ここではとりあえず「伝えんとすること」の大切さをわかってもらったという体にして、その伝え方である「レベルデザイン」について考える。
ここで言う物語の「レベルデザイン」とは、表面的な物語の意味とその裏の意味、そしてさらにその先の意味というのが段階的に理解できるように物語を構築するということだ。
これは別に特別新しい考え方ではなく、表向きのテーマと裏のテーマを設けるような手法は旧来使われてきている。
この「レベルデザイン」ではそのテーマを段階的に、より深く複雑なテーマに導くように、意識的に構築すると良いのではないかという考えだ。
例えば、ヒーローが悪者を倒すようないわゆる勧善懲悪的な物語があったとする。
この物語での表面的な意味は「正しい行いをすべきである」であったり、「正しい行いは必ず報われる」であったりする。
そこでこの物語の道中に主人公と異なる「正義」を持つキャラクターが表れるとする。
このキャラクターが出てくることによって、「正義の不確かさ」を伝える。
そして異なる正義と対立することによって、「それぞれの正義」があることを伝え、考えさせることができる。
このような構成ではユーザーは段階的により複雑なテーマに触れることになる。
(仮面ライダー龍騎を想像してもらうとわかりやすいかもしれない)
こういった例を考えてみても、物語のテーマと展開というのは密接に関係していて、面白さの源流になっていることは明らかだ。
しかしながら、これを行動そのものに面白さがあると誤って捉えてしまっていることが多い。
この例で言えば、「対立」したことが面白さの本質ではなく、「それぞれの正義」という複雑なテーマが十分に表現されたことが面白さの本質なのである。
加えて、ゲームにおいては様々な手法で体験させる物語そのものを複数用意し、誘導することができるので、このような「レベルデザイン」がより魅力的になると考える。
例えば、「Undertale」や「シェルノサージュ」に代表されるようなメタフィクションではそもそも段階的に物語を体験させ、ユーザーが徐々にコアのテーマへ理解を進めるようになっていて、この「レベルデザイン」を実現してきていると言える。
メタフィクションはその性質故にメッセージ性の強い作品が多いが、こういった物語の体験のさせ方は様々応用することができると思う。
高いメッセージ性をこめられるという点だけでなく、ユーザーが物語の中で「発見」をする遊びになるという側面も持っている。
この「レベルデザイン」はまさに、ゲームに向いた考え方であると言えるのではないだろうか。
というか、求められている物語の質は常に高まり続けているわけだから、どんどん新しいことをしなければいけないのだ。
何が《私》を成すのか | 魂の形
人が人を認識する時に、その人の何を以って「その人」であると認識しているのだろうか。これは私が日常的に感じている問題で、つまりは何が《私》を成すのか、ということだ。
なんでこんな問題を日常的に考えているかというと、私個人の感覚として、自分が何か生み出したり、成果を出したりしたものが評価されることと、自分自身が評価されることにものすごい乖離があるように感じているのだが、一般的には一致しているはずだからだ。
この感覚を理解できるように説明するのはすごく難しいように思うが、例えば「○○が上手ですね」と言われれば、それはスキルを褒められたのであって、《私》を褒めているわけではないという感じだ。
当然私も人間なので、褒められれば喜ぶし、貶されれば悲しんだり怒ったりする。
だけどそういう感情が私そのものとは離れた場所で起きているように感じてしまう。
この問題は個人的にかなり根深くて、他の多くの問題にかかわってくると思っている。例えば、「愛」とは一体何に向けられているのだろうかという問題だ。
「愛」の対象が金銭や名誉的な価値等のわかりやすいステータスであるならば問題ではないのだが、「無償の愛」だとか、「運命」だとかの、《私》という存在を愛している場合を考えるとわからなくなってくる。
《私》が揺るぎないものだとするなら、私を構成する要素のすべてに必然性はない。
もし私が別の人生を歩み、カンボジアに学校を建てていたり、メキシコでカルテルをやっていたりしていても私の《私》は同じであるだろう。
揺るぎない《私》を愛しているとするなら、それは真に表現することは出来ないだろう。《私》という問題が、真に説明不可能であることはウィトゲンシュタインがはるか昔に述べている。
そう考えると、《私》を真に承認したり「愛」することは不可能であるように思えてくるわけだ。
私の考えすぎなのだろうが、そうだとしても現に感覚としてあることを無下に否定は出来ないようにも思う。
時に《私》とは「魂」と言い換えられることも多い。
多くの場合「魂」は肉体という器に宿る非物理的な何かであると語られる。
「魂」が人間のコアであって、精神や自我なども「魂」に含まれていることが多い。
しかしこの頃、私は「魂」こそが器なのではないかと思う。
認知されることによってそこに存在するわけだから、(それがどんな状態かはわからないが)認知可能な状態の最低ラインが「魂」なのではないだろうか。
そう考えると、「魂」は自我がないとされる生物や無生物にもあると考えることも出来る。
ただ人はそういうものに何か価値を見出すことはできるのだろうか。
どうやら《私》が褒められたと感じるためには相当奇特な人と出会わなければいけないようだ。
「《私》さんが存在しています」というだけの何かを人は愛することができますかね?
無理か。
感想「サザンと彗星の少女」
レトロフューチャー的なSFが好きなので、アマゾンでたまたま見かけてそのまま買った。
上下巻で合計500ページほど。
絵柄的には手塚治虫やジブリの影響を強く感じさせるし、内容も正にその通りだった。
全編アナログで書かれているため、一層オールドスクールの雰囲気を醸し出している。
SFによくある難解な設定とかは出てこない上、物語としては非常に単純明快な冒険譚という感じなので、これといって深く読み解く部分はない。
(自分としては難解な方が好みだが)
なのでSF風という方が正しく伝わるかもしれない。
総評としては良作だが名作や傑作ではないというラインだろうか。
以下、内容に関する批評の書き止め
所謂ボーイミーツガール的なお話の様式美とも言えるくらい普通の展開で、最初の30ページぐらいで最後のオチまでわかるレベルだ。話そのものに新鮮味みたいなのは感じなかった。
というか、話の流れは「天空の城ラピュタ」そのものといっても過言ではないだろう。
設定についても考証が甘いというか、別にSFである必要がないなというのが正直な感想で、彗星人であるミーナが持つ力がご都合的なまま終わってしまったりだとか、
そもそも幼い時から迫害され流浪してきたような少女が一般的に想像する「純真で孤独な少女」という人格を形成し得るのかとか、
AIが極端な思想に陥ったり、人間になりたがったり、復讐したりというのはさすがにアイデアが古いかなと感じるところとか、
SFらしい設定が十分に生かされていなかったりだとかで、今一つだった。
それと、人間賛歌的な終わり方なのに人間の陰惨で汚くて愚かな部分があまりにも少ないせいでものすごく薄っぺらく感じてしまう。
これは私個人の好みでしかないのだが、人間っていうのはもっと悪魔的な生き物だと思うし、AIもミーナも実はもっと大きな黒幕的存在に利用されているに過ぎないみたいなのを匂わせているとすごくSF的で良いのになと思った。
加えてAIとミーナは同じ作られたもの同士で共通するところがあるので同情できるみたいな場面が出てくるが、これにものすごいずれがあるように見えた。
というかミーナの出生についての情報が少ないので正直ミーナの言葉にはあまり重みを感じないというか、共感できなかった。
なので正しき道に進むミーナと道を違えたままのAIで対比になっている、ある意味物語の最重要ポイントなわけなのだが、いまいち説得力がないように思ってしまった。
それこそラピュタのような、二時間程度の映画にする前提ならまあわからなくはないが、高いメッセージ性や問題提起などの、作者の思想が感じられるような作品ではないと感じた。
まあ元々は短編になる予定だった作品らしいので、読みやすく、あくまで万人が見れるエンタテインメントに落としどころを付けたのだろう。
名作と呼ぶにはま足りていない要素が多いと言えるだろう。
絵に関してはもしかしたら好みが分かれるのかもしれないが、万人受けしやすい、丁寧で魅力的な絵であると思う。
UXに対して思うこと
ゲームの企画を作るときに、大抵はユーザーエクスペリエンス(UX)がどうなんだとかコンセプトはなんなんだとか、一言で言おうとすることがすごく多い。
企画においてUXは、概ねゲームのアクション性とかシステムとかについて、どういう風に楽しいかということを指している。
「一気になぎ倒す爽快感」だとか、「一人ではできない困難を超える達成感」だとか。
またゲームが目指す体験の理想状態をUXビジョンと呼んだりするらしいが、最近こういうある種の「ツール」のようなものに対して疑問を持つようになってきた。
まず、こういう「ツール」は繰り返しの多いゲーム(ソーシャルゲームとか対戦型ゲーム)においてはかなりの効果を発揮する。
それはそもそもゲームとして遊びのシステムが単一か非常に限られているから、その部分を洗練させることがゲーム全体の体験を向上させる上で非常に効果が高いだからだ。
逆にオープンワールドやサンドボックス型のゲームではそういう考え方が邪魔をするような気がする。
例えば、「GTA」や「マインクラフト」に含まれる遊びすべてを何かしらの理想状態として具体的に定義することはできるのだろうか。
そういうゲームを考える時、UXを絞ることはゲームの可能性を狭めているに感じる。
欧米人はよく「ゲームをやっている自分は自由であるはず」という考えを持っているらしく、制限が多かったり、できることが少ないゲームにストレスを感じるらしい。
世界をどんと一つ作って、あとはお好きにどうぞ。というのが今後(というかすでに)ゲームの主流なのではないだろうか。
そういうゲームでは何かクリアする達成感を得るのではなく、面白いことを考える楽しさがメインのUXになっていて、もはや楽しさの大部分がプレイヤーのアイデアにゆだねられている。
ただ、ある程度は与えられた課題というのを用意してあげる必要もあるだろう。
それと、いつかの企画書を作っている時に「試行錯誤する楽しさ」についてうまく伝えられないというか、感覚の差のようなものを感じたことがあった。
「試行錯誤」は一般に達成感や発見することの喜び、それに対する期待感と高揚感あたりが楽しいと感じるポイントだと思う。
その中でもうまくいったときの達成感が一番大きな楽しさを感じるポイントだとその時は言われた。
でも人によってはその道中の試行錯誤している最中が最も楽しい人もいる(自分がそうだった)。
あらゆる事に関する感覚は、思っているよりもかなり個人差があると感じた瞬間だったし、この感覚の差だけでも実装が全然変わってしまうのを感じた。
だけどどっちの感覚が一般的かとか、優先すべきなのかということを考えるには少し難しいようにも思う。
ある行為による楽しさを感情に抽象化させることには限界があるだろうというのが自分のなんとなくの感覚だ。
人の感情は思っているよりもずっと複雑だ。
抽象化しすぎたモノは何か人間的な「味」や深みを失ってはいないだろうか。
そういう楽しさを無理に言語化する必要はあるのだろうか。
実際、細かい仕様とかサブコンテンツみたいなのは「ノリ」みたいな大雑把な感覚の共有で決まっていくことも多々ある。
尤も分析的な言語化というのは大切だ。が、シンギュラリティになるような名作っていうのは往々にして天才の才能という圧倒的な感覚によって作られている。
凡人には厳しい現実である。
ゲーム業界に新卒で就職した話1 ~インターン編
就活シーズンになって後輩から相談を受けたついでに就活期を思い出しながら記したものである。
ひよっこの走り書きでしかないので参考までに。
この記事では主にインターンについて
ゲーム業界のインターン事情
新卒の就活と言えば3年夏くらいインターンがある。
早期選考を兼ねていたり、何なら本選考より倍率が高かったり、短期インターンは意味がないだとかネット上では様々な噂が飛び交っている。
ゲーム業界も同様に夏からインターンがある。
とはいえ、1週間を超えるような長期インターンはエンジニア系の一部くらいしかなく、ほとんどは1day~3dayのインターンになっている。
大手の会社ほど充実したインターンをしている場合が多く、その会社のファンなら参加するだけでも楽しいだろう。
がしかし、インターンに関する議論の最も肝要な部分は結局選考で優遇されるのかどうかというところであるのは誰もが思うところ。
結論から言うと、ゲーム業界に関しては1dayですら早期選考や優遇のチャンスが大いにある。
なので出来ることなら参加しまくった方がいい。
しかし、ゲーム業界のインターンはアホみたいに人気があるので倍率はかなり高い。
ついでにアンケートと称したESの提出が大なり小なりある。
これが本選考のESを兼ねていることが多く、さらにインターンでポテンシャルを見せることが出来れば早期選考の案内が来ることがある。
筆者はモバイル、コンシューマの大手に合わせて6社ほどのインターン参加した。
その内4社から早期選考の案内が来て、2社から内定をもらった。
インターンの探し方
インターンはほとんどの会社がマイナビかリクナビのどちらかに掲載している。なのでまずはこれらのサービスを利用して探すのが良いだろう。
たまに掲載されていない場合があるので、気になる会社はその会社の採用ページ等を直接確認する必要がある。(特にモバイル系の大手に多いイメージ)
インターンのES
インターンのESで書くことは基本的に本選考のESと大差ない内容を求められる。
詳しい書き方や内容はまた後の記事で解説するものとして、大抵の場合はガクチカや好きなゲームとその理由、学業や研究内容、それにゲームの企画などのゲーム業界では一般的な内容が求められる。
提出したものは基本的にちゃんと読まれているし、早期選考ならその後も使われていたのでインターンだからと言って手を抜かずにしっかりと書くべし。
ESだけで参加者を数十人に絞ることも多いので、本選考よりも質の高い内容が求められていると思う。
インターンのESを全部通せるようなら、本選考でも書類落ちみたいなことにはならないだろう。
ひとつ小技みたいなものを紹介するとすれば、
ゲーム業界のESでよくある「好きなゲーム」に関して記述する部分には少し変わったマイナータイトルを書いた方がいい、ということくらいだろうか。
多少なりとも印象に残りやすくなるし、議論され切っている有名タイトルはよほど分析に自信がなければ粗が目立つだけで優れた印象を与えるのは難しいと思う。
インターン当日の対策
対策できることがあるとしたら、おそらくグループワークの最初にやるであろうブレインストーミングの練習をしておくくらいか。
アイデアの質や量は一朝一夕で上がるようなことではないが、他の参加者だって大してやったことが無いはずなので多少の練習でも役には立つ。
それから日常的にあらゆる作品を制作側の視点で見るようにするといいだろう。
もし何かを創作した経験に乏しいなら企画書を書いてみるのもいいだろう。
制作者の視点がなんとなく見えてくるかもしれない。
インターン当日の過ごし方
筆者が参加したインターンはすべて1day~3daysの短期インターンだった。
選考の優遇等が存在するとは言っても、インターンの主目的は業界研究や職業体験だ。
なのでインターンにはリラックスして参加するのが一番だが、
- 礼節をわきまえる
- 学ばせていただく姿勢で臨む
- 一所懸命にやる
- ポジティブな発言を心がける
- 他の参加者を気遣う
の5つを最低限守っていれば大体うまくいくし、あとはその人の能力次第で評価してもらえるだろう。
プランナーのインターンにおいては大体グループワークで企画・発表を行う。
いいアイデアを率先して提案するのは当然で、その上で他のメンバーの意見をうまく取り入れられるような再提案をすると好ましいと感じた。
ついでにリーダーシップを発揮して、どうでもいいところで立ち止まるのを防いだり、決めの問題で自分の意見を自然に通せるような資質があるとなお良い。(そんな人間はこんな記事を読まないだろうが)
そもそもインターンは学ぶ機会なので、一度や二度うまくいかなくても、それを学びとして次のインターンや本選考で役に立てればいいだけの話である。
本選考の優遇
世間一般で言われているのと同じように本選考の優遇は存在している。
実際にインターンに行った会社の内、4社から通常の選考とは違うルートの早期選考が案内された。
ゲーム業界はGD→1次~3次面接→内定の選考ルートが多いが、GDが免除になって、面接からスタートになる優遇が多い。
それに本来より早い時期に選考を受けられるので時間的な余裕も生まれるし、採用枠が一番空いている時に受けることができる。
なのでその後により志望度の高い会社の選考があるとしても、早期選考の案内が来たらとりあえず受けることをお勧めする。
多くのゲーム業界の会社は内定をかなりの期間保留させてくれるし、割と柔軟に対応してもらえる。(筆者は数か月内定保留してから承諾した)
それにインターンに参加した全員に早期選考が案内されているわけではないから、もし案内が来たなら、ある程度は見込まれている。自信をもって受けよう。
また会社によっては早期選考に落ちてもその後の通常選考を受けられる場合もある。
おわりに
インターンに参加するのは就活で有利になることは間違いないが、それがすべてというわけではないので参加できずともそれほど気にする必要はない。
ただ時間に余裕があるなら、学びの機会としても役に立つしファンイベントとしても楽しいので参加してみるのがよいだろう。
気が向いたら次回:職種と会社の選び方